山で死んではいけないのか!?|ふと自分もいつか死んでもいいかなって思えるとき

山,登山,死ぬ,後悔

朝焼けに染まる五竜岳と鹿島槍
山の事故のことをとやかく書いたわけではなく、ただ、いま個人的に感じていることをふと、天気が悪いこの時分に、つづってみた次第です。
いや、まだ死なないんだから…



昨日夢を見たのですが、4年前に亡くなった山仲間が出てきました。
あいつはなんで途中で死んだんだろう・・・
過去に亡くなった知人をときどき思い出しています。
ここ10年くらいは、毎年一人か二人くらいは、山の知人・知り合いの方が亡くなっています。
つい先月も、大切なクライアントの方が山で滑落されました。
(ご冥福をお祈りします)
それを聞いたときは、無意識に動転していたようで、大きなガラスを割ってしまったのですが(汗
山で亡くなるというのは、突然であり、それもあって、悲しいですし、やはり衝撃はありますね。

 

そしてやはり、体感としても、山やクライミングをやるということは、それほどまでに死傷率が高い、ということが分かります。

 

だから、
「山は危ない」
「岩登りは危険」
「やめとけ。死んだらもともこもない」
「雪山だけはやったらダメ」
こうなるわけです。
これも否定しませんし、その通りだと思います。

 

そして、そう思うのは大抵は周りであって、当の本人は、ワクワクだけが先行して、リスクがよくわからずに山にのめり込んでいくいものです。
そして身近で事故が起こって、美しく楽しだけの山の幻想が崩れ落ちる。
これも否定しません。

 

というか、私自身も、なんのリスクも考えずに突っ走ってきた一人だったからです。

 

じゃあなぜ今、生きているのか? ということは、気が向いたら書いてみたいと思いますが・・

 

でもふと、思うのですが、しっかり自分が望んだ道を歩いてきて、そこで命が尽き果てたなら、それはそれでいいんじゃないのかな、と。
現実世界では、いろいろと問題があるかもしれませんが、真実としては、問題はなかった…と。
あくまでも「〇〇だったら、〇〇してれば」、とは、この世界に存在してない幻想です。その選択はなかったのです。
(もちろん、そうはいっても、悲しみは残された人たちには残りますし、感情では気が済まないかもしれません)

 

最近知ったのですが、アメリカの病院で80歳以上の老人にとったアンケート調査で、
人生で最も後悔していることは何ですか?
という質問をしたそうです。
それに対し、7割以上(9割という説もある)の老人が答えたのは、
何をやったかということではなく、

 

何もしなかったこと、冒険しなかったこと

 

だったそうです。(下動画にもでてきます)

 

人々が自分の夢を選んではいないが、夢は人を選んでいる

思うに、多くの人は、
長生きするためのことしか考えていない。
という感じがいたします。
将来のため、明日のため、この先のため、体のため、お金のため、
〇〇のための今この瞬間の不在と我慢の毎日。
ついでにいうと、歩きスマホ、ヒマメール、休憩時間のLINE,どれもココが不在なのです。
何かやってないと気が済まない、それはまさしく無意識のなす病理。
(それが悪いということではなく、そこに気づくという意図)
思考が出す答えはいつも不足感。それを補うための行為のために人生は在るわけではないんだよ。

 

山の感動とは、この今の真っただ中を感じられる瞬間なのですが、
そのことに気が付いている人はどのくらいいるのでしょうか。

 

飛行機が飛ばずに地上に残ることのほうがはるかに危険である。
着地していれば錆ついてきて多くの機能が摩耗してしまいます。”
EVERYBODY DIES, BUT NOT EVERYBODY LIVESより

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