変化を受け入れるもの、変化を拒むもの

沖縄ツーリストの登山ツアー山歩倶楽部のことです。
関係ない方はスルーしてくださいって書こうと思ったんですが、
へんに悟りっぽく書いたので読んでもよい(笑)



山歩倶楽部は今年で終わる!?
その予定でした。
山歩倶楽部が始まってから今年で10年です。
早いですね。
あっと言う間w

 

そして、最近は当初の勢いも薄く、中止になるツアーも増えつつありますが、それでも夏はやっぱり満席ツアーとなっています。
それだけ沖縄での登山というものが定着してきたんだなぁとつくづく感じています。
私としては、この10年の定着期に、なにか沖縄のために、自分がネジの一本にでもなれたことは嬉しくもあり、有難いことだと思っています。
もう、正直、心残りはありません。

 

で、今年でこの企画は終わりにする、といわれていました(実は
が、来年もやる予定になりそうです(笑)

 

ただ、私はもう地元で何かやっていきたいという方向に動いてはいるんですが…

 

 

 

 

いづれにしましても、
変化は常におこります。
来年もある、明日もある、ではないのです。

 

よく、山を引き返すときに、
山は逃げない、
来年もまたあるよ、
というようなことを言いますよね。
確かに説得力があるようですが、
正直に思いまして、

 

来年も明日も、ないです。

 

今しかないんですよ

 

今を逃したら、明日はないんです。
なぜなら、明日なんてのは、思考が思い描いた幻想にすぎないんですから。
今行かなければ、行かなかったという経験があるだけ。

 

では、引き返さずに突っ込んだほうがいいのか?
当たって砕けろっていいますね
個人的には、
行ったらいい。
と思います。

 

石橋は叩いて渡れともいいます。
職業的には、
行くべきではない。
と言えます。

 

でも死者の目線からすれば、
どっちでもあり、どっちでもない。
わけです。

 

46億年の流れの、瞬きひとつです。
何も起こっていません。

 

好きな、山の頂に登ったとき、
そこに、何かが起こってるのか?

 

山に登る究極の目的は、
山が伝える無言のメッセージに気付くことです。

 

ただ風が吹いている…

 

涙が出てきたら、
それはほんの入り口です。

 

私もまだまだw