山には上司はいませんが、お天道様が常にいます

GWは山岳遭難が相次いて起こりました。
今年は春の嵐が当たらなかったにもかかわらず、ニュースで各地の報道がされていました。
たいてい、メイストームがくるときは、要注意で、まず大きな報道が報じられるのですが、
今年は少ないかな、、、とおもっていたんですが。


報道の内容をみていますと、雪山の山岳事故から、低山の行方不明など様々で、
こうだったから、という傾向的な断定はできない感じですね。
私もGW後半は白馬へいっていましたが、朝方はヘリが飛んでいたので、察しました。

 

これは完全に自分本位なのですが、
なにか、世界情勢と山の事故が自分の中で縮図になっている気がしています。
それと、飛騨松本での微震からの駿河湾の地震。
ちょっと圧が抜けましたかね。
地震サマありがとうございます。

 

とにかく気をつけねば、と思う次第です。

 

事故にあわないためのファーストステップ

私も偉そうなことはいえません。いつ自分のみに災いがあるかしれませんし。
事故を防ぐ対策はいろいろと議論やらなんやらがあると思いますが、
その前の自身への危険に対する意識というのが大事な気がします。
それ(そこ)が危ないのかどうかも判らずにやってしまったのでは、
防ぎようがないからです。
かく言う私も山を始めてからどんだけ無謀だったかを、
山へ行けば行くほど痛感しています。
ただ、冒険ということばがあるように、
危険を冒すことで生きている実感が感じられるのもそうだと思います。
「若い頃」というのは何も知らないので何でもできる、っていうのはホントその通りですねw
知らなくても生命力は、少しはある。

 

まず、個人的に思うのは、

 

事故がなくなることはありえない、ってことです。

 

山の仕事をやっていて思うのは、
事故にあわないようにするための行動を
起こせるだけの気づきを得られるかどうかは、
生き延びるための糧になるってことです。

 

そしてその、気づきというのは、

 

事故にあうこと

 

で学ぶしかない、のかなぁと。
まぁ、大きな事故でなくても、なんでもいいです。
スリップ・転倒・迷い・天候判断・・・。
もし遭難事故にあったら、

 

そこで感じるファーストフィーリングというのは、

 

「まさか私(たち)があうなんて!」

 

だと思うんですが、
この経験を理解していかないと
「気をつけて」を何度やっても希薄な気がします。

 

私はガイドになるずっと以前に林業の仕事をしていたことがあります。
まぁ、山のキコリですねw
この林業ってのも、かなり危険です。
いろいろ体験しますと、なにが危険なのかを思い知ります。
でも、そんな体験をしてもなお、
こと趣味の登山では無防備なんですね(マナベヨオイ!

 

なので、山での事故(ニアミス・ちょっとした不注意などどんなことも)から少しでも学べるといいとおもいます。

 

そうすればいつの間にか
どうやったら安全を保てるかを考えられるのではないでしょうかね?

 

そして、怖い!って思うことです。

 

先を読むことができる人は、その怖さを知ります。
先が読めない人は、怖さに鈍感になります。
先を読むことができれば、行動によけいにエネルギーが必要になるのかもしれませんね。

 

さて、まとめ。

 

事故にあわないためには、事故にあうこと。

 

事故にあえば、事故にあわなくてすむ。

 

人間万事塞翁が馬

 

以上、私も含め皆様、この夏も気を引き締めて山を遊びましょうね

そんで、今日はGWも終わり、忘れていた車のタイヤ交換をしにスタンドへ。
そこでわかったこと。

 

スタッドレスタイヤが終わっていた Ω\ζ°)チーン

 

エアコンガスが無くなっていた Ω\ζ°)チーン

 

3月の車検後、すぐにO2センサーが壊れたかと思ったら、次から次に。。。

 

塞翁が馬ですね チーン